<引用・参照/読売新聞2020.6.7> アビガン生産 日中攻防 2020.6.7 小林 勝
アビガン生産 日中攻防
「化学業界を当たれ」
3月25日、経済産業次官の 安藤 久佳は、大臣官房参事官の 茂木 もぎ 正に指示を出した。
新型コロナウイルスの感染症の治療効果があるとして、新型インフルエンザ治療薬「アビガン」への注目が高まり、政府は原料を生産できる国内企業を血眼 ちまなこ になって探し出そうとしていた。
茂木はその日、省外で夕食中、ある経産省職員からのメールにくぎ付けとなった。そこには、アビガンの原料を生産したことがあるメーカーについての断片情報が記されていた。その場から化学業界の関係者に携帯電話で問い合わせると、新潟県内の化学メーカー「デンカ」の工場で生産されていたことが分かった。
しかし、工場は 3年前に生産を停止していた。電話先の関係者からは「工場は夏に解体予定」とも伝えられた。
茂木はさっそく翌日、都内のデンカ本社に出向き、担当役員と向かい合った。「必要な経費は国が払う。工場を再稼働してほしい」。そう頼み込むと、役員は「今は国難だ。最大限できることことを全力で協力したい」と応じた。
幸い工場に目立った損傷はなく、5月16日から生産が始まった。工場が解体されていれば、アビガン原料の国内製造はできなかった可能性がある。茂木は「偶然が重なって何とか(稼働に)こぎ着けた」と振り返る。
1990年代以降のグローバル化に伴い、中国は「世界の工場」としての役割を担ってきた。日本企業はコスト削減のため、競い合うように製造拠点を人件費の安い海外に移した。デンカの工場が生産停止となったのも、中国とのコスト競争に負けたためだ。
アビガンの製造元である富士フイルム子会社も、中国に原料の生産拠点を置く。関係者によると、富士フイルムはアビガンの増産を要請する日本政府と、アビガンの売り渡しを求める中国との間で板挟みとなり、対応に窮することがあったという。
新型コロナウイルスの世界的世界的流行は、国境を越える人やモノの移動を止めた。非常時には医薬品だけでなく、マスクのような日用品でさえ自国でまかなえないという世界的なサプライチェーン(供給網)のもろさをあぶりだした。
「技術を持った日本の企業を守る。十分な資金を確保して対応したい」
首相の 安倍 晋三は 5月15日のインターネット番組でこう述べ、日本企業の国内回帰を訴えた。
サプライチェーン見直しは経済安全保障に直結するテーマでもある。安倍は 4月に国家安全保障局の経済班が発足したことに触れ、「国家戦力的な観点から、経済政策を実現していきたい」と語った。
政府は改正外国為替及び外国貿易法(外為法 がいためほう)に基づき、安全保障上、特に重要な 12分野( 558社)を「コア業種」と位置づけ、海外投資家が株式を 1%以上取得する場合、国への事前届け出を義務付けている。コロナ危機を受け、医薬品や医療機器業界も 6月中に追加指定する。富士フイルムは指定済みで、新たな指定対象には「デンカ」も含まれる。
国名は名指ししないものの、政府の狙いは、コロナ危機で株価が下落した企業が中国に買収されることを防ぐことにある。
ウイルスとの戦いの陰で、国の経済安保をかけた戦いが激しさを増している。 (敬称略)